歩くために歩いているという釈迦の教えは18禁動画にも

釈迦と弟子のある有名なやり取りがある。

「お釈迦様どこへむかっているのですか?」
「どこにも向かっていない」
「では、どうして歩いているのですか?」
「歩くために歩いている」

釈迦は、人生の真理について長い間瞑想という手段を用いて考え抜いた。そして出た結論が、私たちの生は「どこかに向かって歩くのではなく、歩くために歩く」であるべきだというものだった。これは、釣り師の例えを出すとわかりやすいだろうか。

釣り師にとって釣りをするという行為は大いなる喜びである。数時間に一匹釣れる程度の釣りでは、釣れている時間よりも釣れていない時間帯のほうが圧倒的に多い。結果と生産性を考えたら、全くの非効率である。しかしながら、釣り師は竿を振って、仕掛けを投げて、魚の辺りを待つ、という行為が好きだから釣りをするのである。

この釈迦の言葉を現代風に解釈するならば「出世するために仕事をするのではなく、現在の仕事を楽しむために仕事をせよ。お金をたくさん貯めるために生きるのではなく、今のまさにこの瞬間が充実するように生きよ」となるだろうか。

こうした、釈迦的な哲学を考慮するならば、18禁動画ユーザーほど正しい存在のあり方はないのではないのだろうか。なぜなら、18禁動画ユーザーは18禁動画を見て何かを獲得したいだと、自分を高めたいだとか、そんな生産性は目的としていないからである。あえて言えば、射精をするというのが目的かもしれないが、それは副次的な結果であって、18禁動画を楽しむという行為を優先している。誇り高き18禁ユーザーである。

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